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2005年1月1日発行 第264号 | ||
第五福竜丸を最も愛したジャーナリスト 見出しは、送られてきた本の題名である。送ってくださったのは白井雅子氏、私が居住する東品川に住んでおられたことから親しくお付き合いをさせて頂いた。現在は岐阜県に在住している。現役時代は婦人団体連合会事務局長や新婦人副会長を歴任し、婦人運動に力を尽くされた方である。 故白井千尋氏は白井雅子氏の伴侶であり、ビキニ環礁でアメリカの水爆実験に巻き込まれ、死亡者を出したまぐろ漁船「第五福竜丸」を夢の島で発見し、保存のために走り回ったジャーナリストである。 平和と社会変革への願いあふれ 一九六八年に第五福竜丸を発見したときの感想を次のようにつづっている。 「夢の島のゴミの海の中に第五福竜丸を見たとき、私はあたりがパッと明るく開けてくるようにも思えた。周りのズブズブに腐ったゴミの海には打ち捨てられた何隻もの大きな木造船や鉄船が沈んでいて、その中に第五福竜丸は浮いていた。……私は泥だらけになって取材しながら、言い知れない怒りで胸がいっぱいになった。被爆国日本の政府である筈の自民党政府は、世界にひとつしかない水爆被災の証人ともいえるこの船を手厚く保存し、原水爆禁止を世界に訴える代わりに、これをゴミの海に放置し沈めようとしていたのだ。現に私が取材した少し後にこの船は船底に大きな穴をあけ、沈められることになっていたのだ。そうなれば、この船は東京湾の海底深くゴミといっしょに沈められてしまっていただろう。間一髪、第五福竜丸の運命を救ったのは、赤旗の報道とそれに続く全国に広がった永久保存の運動であった」と記述している。ここですべての文書を紹介できないが広島・長崎に続いて核兵器の被害を受け、被爆した第五福竜丸を闇に葬ることは許さないというジャーナリストの使命感が伝わってくる。 「記者」取材活動の原点 報道に携わる者としての思いも描かれている。 第五福竜丸の船体は名前も変わり、廃船となった状態で一目でわかると言う状態ではなかった。それなのに夢の島にいた港湾・清掃労働者は船が夢の島に捨てられたいきさつや、最後の持ち主まで知っていたという。 こんな記述がある。 「重大な事実というものは学者や専門家、科学的な資料から教えられる場合も多いと思います。しかし、私の長い記者経験では、同時に、こうした生活点、生産点の働く人々、普通の人々にこちらから真剣に、心をこめて接近したときに教えられることも多いということです。」そして、「私をこうした取材行動にかり立てた力は、あのいいしれない事態を包み込んでいる現場であり、被爆国日本の反核への思いであり、これらに関するわが党の方針、一貫した闘いです。私は、こうした取材の原点からいつも離れてはならない、この原点こそ赤旗記者のエネルギー、気概の源泉であると、いつも、まがりなりにも自分に言い聞かせ、一寸の虫にも五分の魂をふるいおこしています。」また、四日市喘息を取材した記述には、「一つの『事実』『真実』も、階級的立場で鋭く対立し、異なるものだということ、このことは、あらゆる生活の側面に仮借なく貫かれており、このことを『現場』取材のさいに、一つひとつ注意深く見抜いていく赤旗記者の階級的視点を取材活動のなかで、たえず鍛えていかなくてはならない、と私は自らにいつも言いきかせています。」事実と真実の報道で社会を変える信念であろう。 アカハタ駅売り 私は赤旗購読を支持者のみなさんにお願いする。 この新聞は真実の報道をするからである。この新聞がみんなと社会を変えるの大本だからである。 本書の中で、白井千尋氏が大井町駅ではじめて駅売りをした思いがつづられている。当時8円の新聞、記者として、精魂こめた真実の報道を一人でも多くの方に知っていただきたいとの思いであり、その思いは私も同様である。 今年は、働くものや高齢者にとって、さらに負担を強いられる。くらしどころか命さえ危険にさらされる。 ジャーナリストとして、訴え続けた白井記者に学んで「真実と道理」に基づいたねばり強い運動を進めようと新たに決意させる一冊の書であった。 |