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2005年4月24日発行 第276号 | ||
被爆から60年…今年も東海寺に給水所 国民平和大行進の引継ぎがおこなわれる東海寺で、私が給水所を設置して5年になります。今年は被爆から60年、みなさんが平和と核兵器廃絶の願いをもって東海寺からの平和行進に参加し、一歩でも、共に歩んでくださるようお願いをいたします。
「核兵器のない平和で希望ある世界を!」をスローガンにことしも原水爆禁止国民平和大行進がおこなわれます。 平和行進の意義ある歴史 47年前に平和行進が始まったときは、日本の核武装容認発言に批判がまきおこっている時代でした。 日本の原水爆禁止運動は、54年のビキニ被災をきっかけに大きな盛り上がりをみせました。しかし、アメリカ、イギリス、ソ連による核実験競争は激化する一方でした。アメリカは日本に核弾頭積載可能なミサイルなどを配備。国会では、岸信介首相が『核兵器保有は憲法違反でない』と発言しました。 こうしたなか、58年6月20日、広島から宗教者や被爆者、市民たちが「核武装阻止」などを訴え、第四回原水爆禁止世界大会が開かれる東京をめざして出発しました。これは「千キロ行進」と呼ばれ、同時に、7月20日を中心に各県でも平和行進がとりくまれ、自転車リレーもおこなわれました。 この平和行進は、沿道の住民、学校ぐるみで出迎えられるなど、各地で大きな反響を呼びました。翌年の59年は、東京、新潟、沖縄から広島へ向かう「五千キロ国民平和大行進」へと発展。以後、核兵器廃絶をかかげる平和行進は、47年間、かかさずおこなわれ、いまでは毎年10万人が参加する国民的な運動となっています。 この草の根からのとりくみは、核保有国までもが核兵器廃絶の「明確な約束」をせざるをえないところまで国際世論を動かしてきました。全国の地方自治体の77%が非核平和宣言をおこない、非核三原則が国是となっているのも、こうした国民的な運動の成果です。 平和行進の出発地点『東海寺』 品川の出発地点となる東海寺には『被爆慰霊碑』があり、5月6日の夢の島、第五福竜丸展示館を出発し、翌日の港区役所からの行進を引き継ぐ際に慰霊祭もおこなわれます。 一人でも多くのみなさんが参加し、平和の声をあげてくださるようお願いをいたします。 |