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2001年9月9日発行 第115号 suzuki@jcp-shinagawa.com |
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2001・8・25〜26 in 滋賀 24000人が集う 第47回日本母親大会に参加して 平和への思い、さらに強く 8月25・26日、滋賀県で行われた日本母親大会に地元の新日本婦人の会の皆さんと一緒に参加しました。「生命を生み出す母親は、生命を育て、生命を守ることを望みます」をスローガンに毎年行われているこの大会は今年で47回目です。全国から延べ2万4000人をこえる人が集まり熱気に満ちあふれていました。分科会や全体会での各地からの生き生きした報告を聞き、あらためて草の根の運動がこれほど全国で力強く取り組まれているのかと感動の2日間でした。 憲法9条は、人類が生き残るための宝物
一日目の分科会で私は「国際シンポ 安保50年・女性憲法年特別企画ー核兵器も戦争もない世紀を」に参加しました。4人のシンポジストがそれぞれの思いを語りましたが、私はその中で特に、元アメリカ海兵隊員で現在平和運動家のアレン・ネルソンさんの話を聞いて衝撃を受けました。一部をご紹介します。 なぜ目を開くことができたのか ネルソンさんは「私の人生を永久に変えてしまうひとつの出来事があった」と話を続けました。「北ベトナム兵に仲間がやられ防空壕に逃げ込んだ。そこには15〜16歳のベトナムの女性がいて逃げようとしない。見ると腰から下は何もまとっていない。彼女は息づかいが荒く非常に痛がっていましたが、私には何が起こっているのか理解できませんでした。彼女の脚の間に目をやると赤ん坊の頭が見え、彼女が息んだ時思わず差し出した私の手の中に赤ん坊が生れ落ちたのです。・・・・防空壕の中で私は夢を見ているのかと思いました。このことを通して初めてベトナムの人達は我々と同じ人間だったということに気がついたのです。同じ年頃の妹を思いました。 今までベトナムの人達を『黄色いやつ』『共産主義者』と人間扱いしない教育ばかりをうけてきました」 ネルソンさんは22歳で除隊したあとはベトナム戦争症候群になり、夜はうなされ泣き叫ぶ、昼はボーっとしている状態でお母さんから「一緒に住むのが怖いから出ていってくれ」と言われホームレスとなったそうです。そんな時友人の教員から子どもたちに戦争体験を語ってほしいと依頼があり、悩んだ結果「子どもたちに真実を語らなければ」と治療も受け、立ち直っていったとのことです。 ネルソンさんは「日本の憲法9条を読んで襟を正した。アメリカこそこういう憲法があればと思った。若い海兵隊に犬死してほしくない。憲法9条は日本の宝だけでなく人類にとっての宝、世界中に日本の憲法9条を広げたい」と結びました。 ネルソンさんの話は胸にずっしり響きました。さらに3人のシンポジストの話、戦争体験された方を含めたくさんの方の発言を聞いて「憲法9条はなんとしても守らなければ」の思いを強くした分科会でした。 |