日本共産党品川区議団TOPへ 「こんにちは鈴木ひろ子です。」目次へ |
2002年6月9日発行 第149号 suzuki@jcp-shinagawa.com |
||
無料 法律・生活相談会 |
戦争時代に逆戻りさせる 有事法制絶対に許せない! 共産党西中延支部有事法制学習会 6月1日、共産党西中延支部・後援会主催で「有事法制ってなに?学習と戦争体験を聞く会」が行われ、22人が参加しました。 第2部は戦争を体験された方から話していただきました。 「飢えと重労働、ほんとうにつらかった」 西ひさし前区議は、生まれ育った種子島での体験を生々しく語られました。「歴史の教訓を学ばないものは再び同じ過ちをくり返す。戦争の時代に逆戻りさせる有事法制は絶対許せない。 男は赤紙一枚でかり出される。壮行会では中学生も日の丸の小旗をふり、軍歌を歌いながら『勝って来いよ』と送るのが日常茶飯事だった。半年もすると戦況は悪くなり、戦没者のむかえに動員された。2月の西風の強い、海がおおしけの日に兵隊の死体が軍服をつけたまま海岸にどんどん打ち上げられ、島中衝撃が走った。中学生も戸板をタンカ代わりに収容、焼くためのまきを家庭に集めに行った。南方に向かう輸送船が途中で米軍に撃沈されたらしい。・・中学校では暴力沙汰が日常茶飯事、男女交際は一切禁止。学徒動員で飛行場建設、陣地構築をさせられたが、食事は満足に与えられず、重労働でほんとうにきつかった。食に飢えるほどつらいものはない。2月18日の空襲ではすぐそばを機銃掃射、もうおしまいだと思った。遊郭が天を焦がすような炎を上げながら倒壊するのをくっきり覚えている。戦争が終わって、学童疎開から弟が帰ったときは日干しのようにやせこけていた」 当時のことが思い出されてつらい 川嶋さんは、空襲のとき、自分の鉄かぶとにあたった弾がはねて隣のおじいちゃんにあたり、亡くなった事、東京大空襲では足元から3寸のところに爆弾が落とされ、隣にいた赤ちゃんをおんぶしたお母さんが火だるまとなり必死に火を消したが、着物はボロボロ、髪の毛はザンバラ、真っ赤に焼けただれ、赤ちゃんはいなかったなど「話し始めると当時のことがくっきりと思い出されてつらい」と話してくださいました。 「食べ物に困って人肉を食った」 最後に吉沢さんは「西さんの話は胸に響くことばかり。自分は戦場には行かなかったが、身内、友達は10何人か亡くなっている。ニューギニアにいった身内が『向こうではひどいことをしてきたが教えられない』と言っていた。死ぬ間際に『実は食べるものに困って人肉を食った』と話してくれた。戦争は一番いやだと今にして言える。有事法制は許せない」と話されました。
|