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品川を低空飛行する案に、反対の声が広がっています。
騒音、大気汚染に落下物、万が一の墜落
──区民の命と暮らしを守るには、市街地を飛ばさないことが唯一の対策です。計画は撤回させるしかありません。
安倍政権が2020年までに羽田空港の国際便を増便するため、現在の海上ルートを変更し、市街地ルートを解禁する計画。(図)今年の夏にも計画決定しようと狙う。
高度300メートルで飛行機が通過している江東区・東京ゲートブリッジ付近(現在の様子)
「羽田増便による品川低空飛行ルートに反対する品川区民の会」が区内で開催したアピールパレード(2月21日)
衆議院会館にて院内集会(4月13日)
区議会議員超党派有志で学習会。4会派の議員が参加。(5月16日きゅりあんにて)
(共産党区議団のアンケートに寄せられた声)
羽田空港の拡張に反対し、 同規模での 沖合移転を 主張する区報 (1974年6月1日号「広報しながわ」) |
かつて品川区は、航空機騒音を公害として受け止め、住民意識調査も実施。調査では、電話・会話などの聴取妨害の他、精神の集中・静寂の妨害、身体や気分への影響まで対象にしていました。
’74年に空港拡張計画が発表されると、拡張に反対し同規模での沖合移転を要望する要請書を国に提出。「品川区民の生命と財産を守るため」、「航空機による災害、騒音、大気汚染を排除すること」と明確に述べていました。
結果、沖合移転は実現し、「海から入り海へ出るという運用方式を採り入れることで、市街地の航空機騒音を環境基準以下に」(「広報しながわ」’83年2月1日号)することができたのです。
ところが濱野区長は「増便は理解するが国の説明は不十分」と述べるにとどまり、計画決定が目前に迫っているにも関わらず、反対表明をしません。区はキッパリ反対すべきです。
1960(昭和35)年12月 | 空港騒音対策委(国、都、品川・大田両区長・議会・区民、航空会社)発足 |
1965(昭和40)年 | 区の申し入れにより国が航空会社にモノレールより海側を通るよう要請 |
1971(昭和46)年7月 | 浜川小屋上での騒音測定開始 |
1974(昭和49)年5月 | 羽田空港拡張に反対し沖合移転を求める要請書を国に提出 |
1977(昭和52)年 | 航空騒音被害の区民意識調査発表 |
同年 8月 | 国、都、品川・大田両区の「羽田空港移転問題協議会」を設置 |
1983(昭和58)年 | 八潮パークタウン開設 |
2000(平成12)年 | 沖合移転完了。海上ルートを導入 |
2010(平成22)年 | D滑走路完成 |
伊丹空港で調査(2015年8月) |
共産党区議団は、アンケート実施や大阪国際(伊丹)空港など実態調査、ニュースを発行し、中止を求め議会で繰り返し取り上げてきました。
騒音・落下物・墜落など区民の命と財産を守る唯一の対策は、市街地の上を飛ばさないこと
--つまり、計画を撤回し、現行の海上ルートを守ることです。力を合わせましょう。
都議会議員 白石たみお
騒音による健康リスクや学習意欲低下、大気汚染。調布飛行場の墜落事故も記憶に新しいところです。都民の暮らしと命より経済効率を優先させる計画は許せません。みなさんと力合わせ、計画を撤回させるために頑張ります